自分が変わる程の気づきを「真理」と言うとしたら、
その真理の扉を開き、扉の向こうの世界を
「知ってる」のと「知らない」のでは、
生きてる次元があまりにも違いすぎると思える。
その世界を知るには、まず「自分を知る」と言うことが必要で
それは並大抵の努力だけではつかめるものじゃないと思う。
人それぞれが何を信念として生きてるかが違うように、
それぞれが開く真理の扉も違う。
どこにたどり着くのがイイ、悪いではなく、
その過程そのものが、人生なんじゃないかなと。
たまにはインプット、アウトプットよりも
自分の内面に目を向け、向き合う事に
時間とエネルギーを使ってみるのはどうでしょうか?
『汝自身を知れ』”nosce te ipsum”
ソクラテスの、この言葉がビッタリと当てはまる。